多くの人々は、この便利な世の中のお陰で何不自由なく暮らせているかと存じます。
暑くても寒くても、それをしのげる電気や家電が作られていますし「お腹が空いた…」と思えば近くにコンビニも存在し、猟に出ずとも食べ物が簡単に手に入ったりします。
お米や野菜も誰かが作ってくれているお陰で、買うだけで良い。
炊飯器や洗濯機の誕生も《 自力を使う 》とゆう必要が無くなったお陰で、ありとあらゆる事が他力本願にもなってしまいました。
こんな楽な生活は過去から言えば、驚きの連続だろうと思います。
私たちは便利にかまけて、堕落しているだけで楽を得ている訳ではありません。
自力は何よりも確実に物事を進められる唯一の方法である事を、忘れてはいけないのです。
それを証拠に、自然災害や何かしらの障害を受けライフラインが断たれてしまった時、私たちはあまりにも無力になっている事が分かります。
「早くなんとかしてでも電気の復旧させて!」これ以外の解決方法が少ないと知れます。
“ 物がなければ、生活をする事ができない “
自堕落もある裕福な生活は、誰かの働きの上で成り立っていると言えます。
それなのに現代は、勝手な思い込みと心の寂しさから「たった一人で頑張っている」と勘違いをするとは何と愚かな事でしょう。
私たちは満たされ過ぎていて、充分に足りている事を忘れ過ぎています。
もっともっと!と欲する事ばかりに注目し過ぎてしまい、仏陀の伝える「楽」を便利な事が溢れて自力でなんとかしなくて良い「堕落」と思い違いをしています。
私たちを心身、魂、全てにおいて本当に満たすのは、そんな堕落の他力本願で満たされた心や体に更に何かを足すのではなく。
自力を取り戻す《引き算》にこそあると言えるのです。
人のせい、場所のせい、物が足りないせいにして暮らすのは辞めにする時が今なのです。
#セオカズヨ
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