多くの人が「経典(=お経)」について知らない事が多すぎるので重すぎる内容は割愛して分かりやすく解説していきたいと思います。
経典(=お経)は、釈迦が生前に弟子たちに説いてきた教えを文字にしてまとめたものになります。
実は、釈迦(仏陀)が生きている時に弟子たちに説いてきた教えを「文字する事」を禁止しており、暗記する事しか許されていませんでした。
中々のスパルタですが、きっと「文字にした時の感情や読んだときの先入観で、意味が変わってしまう事」や「<メモをした>という安心感で教えが腹に落ちず学びに変えられない」という深い思想もあったかと思います。
誰しも『教えられた事を ” 経験 ” する事で、その教えに納得したり身に付く』という事がありますが、それを重んじたのかも知れませんね。
その為、経典(=お経)は釈迦が亡くなった後に弟子たちそれぞれが聞いてきた内容を集めそれを文字にしたものになりますが、正確性を持たせる為に盤上一致した内容でない限り文字になってないとも言われています。
このあたりの事は数百年単位の話で、諸説あり過ぎるので正確な年数は言えない所ですが「釈迦の教えを弟子全員が納得してまとめた編集会議」があったことは事実、そしてそれを『結集』と言います。
一冊の本を作るために、沢山のスタッフたちが寄せ集めて来た内容を間違いが無いか何度も何度も会議を重ねて編集していくのは、どの時代でも変わらないという事です。
そんな経典(=お経)、多くの人達はお葬式の時に耳にする事が多いかと思います。
しかしそのお経、、耳で聞いてもそれをどうにかして理解しようとしても、さっぱり意味が分からないコトが多いですよね。
それは経典(=お経)が伝わって来た流れが関係していて、決して「意味のない呪文」が羅列されているワケではないのです。
釈迦(仏陀)と言えばインドの人です。
勿論、経典(=お経)が最初に作られた国はインドとなり古代インド語(サンスクリット語)で書かれたものが最初の経典(=お経)になります。
それが中国に渡ると「漢語(漢文)」に訳され、更にその漢語に訳されたものが海を渡り日本へ伝わって来たのです。
もちろん日本語の文章に訳されたものもありますが、経典(=お経)の殆どが漢文のまま読まれている事がおおく、耳にしても意味がさっぱり分からないという理由になります。
そして重要なのは「意味の分からない言葉の<内容>」ですよね。
お葬式で読まれるお経は、日本の仏教の宗派によって異なるので「どのお経が、お葬式に読むお経だ」という決まりもまたありません。
宗派の違いは、例えば『大学や高校』という所は同じでも、『何を専攻するか?』によって選ぶ所が変わりますよね?
体育なのか医学部なのか、はたまた就職を先延ばしにする為。。。なんてことも在るかも知れませんが、それと同じような考えで『仏陀の教え、その中で自分が一番良いと思った部分のみを推して伸ばしている=宗派』だと思うとスッキリするかも知れません。
坐禅の考えを推しています!や、戒律や修行のストイックさを重んじ教えています、いやいや手を合わせることが出来る人間すべて仏!み~んな仏陀!と、同じ仏教でも推している箇所が異なっているという事です。
こうした考えを知ると、いかに仏陀の教えが「世間的でビジネス理論的」かが理解していけるかと思います。
少し話は脱線しましたが『経典(=お経)の中身』です。
経典(=お経)の数は何百、何千とありそれは把握されていないとも言われていますが、実際には『一つの教え、を簡単に集約したもの』が沢山あったりします。
一般的に一番有名な「般若心経」ですが、物凄く短い文章になっていますね。
しかし、あれは『超!抜粋翻訳』であり、実際にはハリーポッターより長い『何百巻』と言われる長~い文章なのですが、日本で有名なかの西遊記のお話にもある有名な「玄奘三蔵(三蔵法師)」によって中国全土から集められた名編集者たちのお陰で300文字足らずまで翻訳されています。
あの時夏目雅子さんが、まちゃあきと河童と豚と一緒に「有り難いお経」を探しに中国からインドまで旅して持って帰って来たのが「般若心経原本」だと思うと、とっても分かりやすい話ですが、これもまた『何千年、何百年も費やしている話なので諸説あって正確性が乏しい』のですがこれで腹に落としておくのが一番ほわっとしないかと思います。
真に詳しく調べたい方は宗教を学ぶより「歴史」を習う必要があるので、大学や教授などの研究者を頼ると早いのではないでしょうか。。
お葬式で読まれる経典(=お経)
しかし、実際には「お葬式用お経」が準備されているわけではなく、宗派によって読まれる経典(=お経)が異なる事が分かりましたね。
例えば、お葬式用お経として内容的に「納得がいくお経」は「極楽浄土の場所と行き方」を説明している文章の『阿弥陀経』ではないかな。
阿弥陀経は南無阿弥陀仏!という言葉を聞いたこと在るかも知れませんが、一派にとても親しまれているお経であり、逆に「聞いたことが無い」という人も勿論大勢います。
その内容は、ほんわりと皆が「死んだあとに行く場所がある、それは極楽浄土(=天国)って言うんだよ」と考えていると思いますが、その場所と行き方を釈迦が力説しているビックリな内容となっているのです。
「東西南北と上の方と下の方にね、六方の仏さまが居てさー、その人の念仏によって極楽浄土が出来るだよ!だからお願いして(拝む)頼んでみようや!」
嘘だろおい。。。六方の仏さまって誰だー!!!ここに来て神頼みかこの野郎!!と突っ込みたくなる内容で私的には腹に落ちてません。(神頼みではなく仏頼みですが・・)
しかし、亡くなった人を天国に送りたいという気持ちは、このお経が一番しっくりくる気がしていて「故人が健やかに天国に行ける為なら!いっちょ拝んてやっか!」と前向きな気持ちにもなれますよね。
また、人が亡くなった後の事は残された人間がいくら考えても処理できない事。
どこに行くの?辛かったの?楽しかったの?何がしたかったの?どう在りたかったの?と、明確なことは誰にも分かりません。
そうした時に「極楽浄土が存在する」として、気持ちの上で区切りを付ける事は何も悪いことではなく、残された人間が先に進む為の必要なことだとも思います。
経典(=お経)は沢山の種類がありますが、内容は「仏陀の教え」がまとめられたいわば教科書です。
いや、教科書には答えが書かれてあることは少ないのでどちらかと言えば『人間取り扱い説明書』といった方が良いかもしれません。
「ネガティブな考えを持った時は、こうした風に捉えるようにしなさい」とか「幸せに生きたいと思うなら先ずは自分を知りなさい」など、ライフスタイルを見直しなさいと言っている内容が多くあるんです。
そして、その取り扱い説明書である経典(=お経)は、何千年も前に作られたものですが昨今でも「古臭い考え」と、衰えることなく使える物ばかりです。
スティーブジョブスが般若心経に感銘を受け、坐禅や瞑想を取り入れていた事は有名ですが、現代に役立つものを発明する為に「経典(=お経)が役立つ」という事は、立証されたのではないでしょうか?
意味の分からない経典(=お経)には、実際には「生きる為に使えるマル秘テクニック」が沢山書かれているのです。
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