「悟りを開く」とゆう事を、多くの人は勘違いしています。
悟りを開く、すなわち『真理を得る』とゆう意味は「宇宙のルールを知り、人類全てが幸せに生きられる方法を体得した」とゆう事です。
「真理」の事を『仏陀が考えた』と解釈している人が多いと思いますが、それこそが間違いなのです。
『仏陀は、宇宙の法則を発見した=真理』になります。
決して、仏陀が決めた・考えた、とゆうものではなく「 生まれる前から存在し続けている宇宙のルール 」があり、そのルールの適応のもの私達は生まれています。
私達は、本来は「 宇宙のルール 」を知っているのですが産道をくぐり、この世に人間とゆう物体で生まれると「 すっかり忘れてしまう 」のです。
例えば、特に自然界で生きる動物たちは生まれてすぐに立ち上がり、親の乳を飲み、または走って逃げるとゆう事を知り、寒くなればあっちの方向へ行き、暖かくなればこちらへ行き、GPSも付いてなげれば地図もカレンダーも持ってないのに「行かなければならない所・やらなければならない事」を知っています。
生まれる前から知識として「本能」に組み込まれているからです。
いわば「脳は知っている」のですが、飼いならされたペットと同じように、餌を取るとゆう事忘れ「くれるまで待つ」が常識となるように、人間の場合もまた生まれたら忘れてしまう事が多いのです。
人間とゆう存在を「血液」にします。
そして、人間からみた地球を血液の場合には「身体」とします。
血液には白血球や赤血球、さまざまな要因で血液となりますが、それはまた血液を身体に置いた事とします。
ただただ、小さいものの上に大きい存在、大きいと思ってる存在の上に、更に大きい存在が続いて行きます。
人間は何の為に生まれて来たのか?
これをうっかり忘れますが、血液を人間とした場合「うっかり忘れて適当に流れてしまえば、身体は不調を得ます」。
血液が逆流した、血圧が上がった・下がった、血液が濁った、出血した。
人間の身体が朽ちてしまいますが、同時に「血液」も朽ちます。
血液は流れなければならない方向を知っていて、人間を健康的に維持する為にしいては自分たちが正しく存在できる為に生きます。
本来は、全ての物や者は「何故、ここに居るか?」を知って居るからです。
仏陀が発見した真理は、アインシュタインや脳科学でも同じシステムを発見しています。
仏陀は宗教家、かも知れませんが「考えて編み出したのが真理」ではなく『宇宙の法則に気付いた』それが真理です。
更に、みんな知ってるはずの宇宙のルールを思い出す方法が「 仏陀の教え 」にあります。
生まれる前、私達は死ぬまでの台本を持っていました。
役柄もあり、発する台詞もあり、共演者もいて、大道具や照明など「地球」とゆう舞台に立ち舞台を大成功させる為に生まれて来ました。
しかしこの世に生を受けて、人間としてポンと生まれた途端、その舞台の広さに圧倒され、または緊張して台詞も役柄も飛んでしまったのでしょう。
しかし、舞台を降りるわけには行きません。
アドリブでなんとか場を持たせ続ける事を思いつきますが、自分勝手な台詞や行動を起こしては「台本通りに進まない」が起きます。
用意されていた台本以外のことをやれば、突然スムーズには行きません。
四苦八苦が生まれ、苦労がそこに生まれます。
役柄とは違う事を演じ出したら、なんとかしてこじつけてでも、そうなるように頑張るしかありませんが、スムーズな流れは掴めませんよね。
あなたがもし『 私はこうしたい!と頑張ってるのに、スムーズにいかないの!? 』と奮起する事があれば
それは今のあなたが、舞台に上がった途端に共演者の演技に気を取られて「私もそうなりたい」と役柄を無理やり変えてしまったか、あるいはアドリブを開始したもんで共演者と噛み合わなくなって居るかが生じて居るだけなのです。
私達はただ、思い出せば良いのです。
(これが一番難しい作業だけどね!)
#セオカズヨ
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