好きに生きる。
私はもうすぐで40歳を迎えます。
正直、闘病生活から生きる事に疲れて終わらせようとした事もあれば、終わりそうな事も数多くありました。
子供の頃から「輪」の中で立ち回る事が上手くできず、一人行動が多く中学の時は2年間程登校拒否と保健室学習をしては、別学年の登校拒否児童のお宅訪問をして「学校においで」なんて誘う活動なんかもしてました。
輪に入れなかった事、入らなかった事。
その2つのどちらも存在しますが「入りたくなかった」は無かったと感じています。
上手く立ち回れない人や、中に居ても窮屈感、不安感。
そんな事を抱えている人は、沢山いるんだなと知るのは20代の半ばを過ぎてからです。
人は言葉にしない、出来ないだけで孤独や不安を抱えて居てなんとも無しの装いで日常を送って居ただけなんだ…。
そう感じて不安を捨てられた事もありますが、上手く立ち回れないそんな自分自身に雁字搦めに固められて手も足も出なくなった事もあります。
もっと上がある、もっと楽がある、絶対ここじゃない何かがある。
うまい言葉や確信を得られている事ではありませんでしたが、しっくり来ない事やところから「絶対に違う方法がある!」と、どう違うのか何をすれば良いのかも分からないまま進んでは挫折を繰り返しました。
クライアントや知人に私の話をすると殆どの人が「一世さんの苦労話を聞いてると、私の苦労なんてちっぽけなもんで頑張れる!って思える」そう言われます。
そんな苦しかった過去の話が出来るようになったのは、経験を学びに、そして知恵に変えられたから。
当時でも、そのすぐ後でも口にする事は出来なかったですし、今でもまだ伝えられない苦しかった出来事は奥に住んでいたりもします。
沢山の経験が、私に自由を与えてくれました。
30代のスタートは、全てを払拭して「らしく生きようと決めた」と言っても過言ではありません。
しかし、全てを捨てて楽しくやっていた筈が、自分の仕事を持ちクライアントを持つと『恥ずかしくないように、してやらないといけない』と、本来はやりたくない事にも手を染めていました。
スピリチュアルな仕事は、理解ある人と無い人がキッパリと別れる両極端だと思います。
良く理解していて、それをヒントに自身を高められる人も居れば、世の間違ったスピリチュアルワーカーの洗脳騒動やインチキ問題で、まるで悪人かのように言われる事。
私はこの後者の偏見が強くある事が嫌で、子供の頃から「素質はあっても選ばない!」と別の道に進む事ばかり考えていました。
しかし「本能の赴くまま、自分のありのまま」で生きたいと願うと、自分自身の本質を隠して生きることが一番辛くキツイ事だと知ったのです。
仕事を始めたきっかけは、いつの間にか予約を取られていた事。
笑い話にできるには至りませんが、正直、考えても無いタイミングで思っても無い事がスタートを切ってしまっていました。
自転車のチェーンが上手く噛みついてないのに、足だけ懸命に漕いでいてもスムーズな運伝が出来ないのと同じで、どこかチグハグなまま噛み合わせようと必死でした。
周りはそれをトントン拍子に進んでる、他人が運んでくれてると思われてもいましたが、私自身やった事ない苦労と努力の毎日で、今までのどの仕事より楽しくて面白いけど、今までのどの仕事よりやる事が沢山あって暇じゃ無い上にブラック企業ばりの労働力が必要でした。
30代の後半から、クライアントの意向を耳にするようになると私は「やりたく無い事」をも頑張らないといけない!と思うようにもなりました。
世間を手放し、普通を捨てたはずなのにクライアントが恥ずかしくないと思える事は「世間に馴染んだ普通」です。
まぁそれでは禅もブッダの教えそのものも、ひっくり返してしまうので双方が噛み合う事など今は難しく一切無いに等しいのに、どうにかして!!と無駄な努力に力を注ぐようになりました。
恥ずかしくない外見、一般的な内容、世間への親しみやすさ。
これ、全て煩悩ですがそれを得ないとクライアントに迷惑がかかる事がある、そう思うようになったんです。
それにはSNSの普及。
「この方はお友達ではないですか?」と、友達の友達にまで知られてしまう事があります。
そんな時、クライアントから言われる言葉の中には「占いやスピリチュアルに頼ってると思われたくないんで」と言うブロック。
ここに来たことを私にあった事を正直に話せない、そんな仕事なのだ、人が見たら恥ずかしいと思われる事だとゆうショックがありました。
理解はあるつもりでしたし、理解はありました。
万人に好かれるつもりもありませんし、それがいかに難しいかも知っていますがちょっとづつの積み重ねで「何のために私は時間を割いて知恵を練ってるのだろうか…」と、考えないことも考えるようにもなったんです。
勿論、答えは「自分自身のため」なのですが、噛み合ってないチェーンの自転車を必死に漕いで行くうちに思いもよらない事をよぎらせます。
39歳はその事に気付き『このままじゃダメだ!私また死ぬ!』と軌道修正をするタイミングだと感じました。
Instagramには書きましたが9月まで仕事を休まないけどスローペースにしよう、肩の力を抜く決意をしました。
不思議と鮫のように止まったら死ぬ!みたいな考えが過ぎると、中々休めも出来ませんでしたが「止まらないと死ぬ!」そう思えたのは良かったのだと思います。
捨てたからこそ、楽しくスムーズに生きる事に成功していて、あるとするならスピリチュアル度も高くなったのに
いつの間にか、スピリチュアル度をも低くする「世間」を見るようになってました。
見るように、とゆうよりは見過ぎるようになっていたのだと思います。
笑わなきゃいけない、馴染まなきゃいけない、一般的に好かれないといけない、皆と楽しまなきゃいけない、ビジネスのやり方をやらなきゃいけない。
私が最も苦手とする事で、だからこそ苦を生んだ事を再び手にしてたんです。
私は思ってない事が言えません。
謙遜もお世辞も言えませんし、考えもつきません。
その代わり、周りから「キツいね…」とゆう評価はお墨付きで言われます。
しかし「物事を正しく見ただけ」であって、傷つけないように本当ではない事を言う事は逆にできません。
現実は事実です、しかし悪い事はダメな事ではありません。
ダメな事は、それを認めず塗り替えること。
例えば私が医者として、癌が見つかって癌だと分かっているのに、不安がらせない為にわざと誤診をして「いやー多分、炎症かな?」とゆうような感情最優先に見て見ぬ振りをしてるのは出来ません。
行きたい方向を知っているのに、間違った道を進んでいる人に"間違っている"って知りながら「このままファイトで進めば、きっと報われるはず!」なんて、未来のないいっときの励ましはできません。
ほとんどの人は、体臭きつい人に「体臭きついよ、気をつけて!」とか言えないし、太っていて悩んでる女子に「大丈夫!太ってないよ〜」なんて優しさと偽り誤魔化したりしますが、真の優しさはそんな事ではないと仏陀の見解があります。
問題を一向に回避できない、現実は事実として受け止めて進まないと、それを回避する明るい未来なんてありません。
誤魔化して誤魔化して、誤魔化す為に上塗りして、遠回りして、より苦労が増えるだけです。
わたしは「これがいい」と思ってる事を貫いた事で開花したのに、何故かいいと思ってた物を隠さないと行けなくなってました。
それは有り難い事に、今まで経験に無かったような和気藹々としてくれる沢山の人に出会えたからです。
わたしはグループ付き合いは空気掻き乱すって知ってるから苦手。
でも、嫌いじゃないの馴染めるならやってみたかった。
謙遜もお世辞も苦手、思ってない事を言えないし何より自分に嘘はつけない。
だけど、褒めないって事は一切ない。
人が思う素晴らしいと感じる観点は違うだけで、私より素晴らしい人も感動も感心もする人だらけで溢れている。
自分が良いと思わなくても嫌だと思っていても、目の前にある事は気にもならない。
それはわたしが選ぶ事じゃないし、選べるものでもない。
明日から明日から、と先延ばしにしたって単にやる事が増えてキツくなる事を歳が教えてくれた。
好かれたいなんて思わない、好かれたり周りに人が集まってる時って行きたい方向にスムーズに行けなくて身動き取れなくなるだけ、満員電車や都会のファッションビルみたいに。
だけど、それはそれで楽しい時がある。
口に出さないだけで得てる人は見えない努力してるだけだと気付いた、誰一人としてラッキーな人は存在しない。
「ラッキーだと思えてるかどうか」だ。
勝手に生きてると思ったら大間違いで、私は周りに「生かされている」と気づきました。
生かされて貰っている命なら、私はその命や身体を蔑ろにせず、紳士的に扱わなければいけないと思いました。
皆が私を生かしてくれているのに、私が私を蝕んではいけない。
そんなこの上ない愚弄はないと感じたのです。
花は、時も土地も選べませんが大地にしっかりと根を張って揺るがずに生きています。
見栄も嘘も謙遜も、風が吹いたから曲がったとか、雨が降って嫌だったとか愚痴も言い訳もしません。
たった一瞬の開花でも、枯れても蕾でも花に変わりはありません。
どんな時でも、どんな場所でも、自分のやれる事を全うする。
ただ、その生き方(咲き方)を見て私は「まぁ綺麗」と癒され微笑むように、私もそうあれば良いと思いました。
真理の意味も解脱の訳も、しっかりと理解しました。
後は、実践です。
私は仏陀とゆう花に教えて貰った事が沢山あります。
あの花より素晴らしい花を見た事がありません。
その花より芳しい香りを嗅いだ事がありません。
40代は、そして13(トレーズ)は花の教えを貫き通す。
だからちょっと待ってね、準備するから。
種を撒ける土壌があるの、撒いた後芽を出し花を実らせ、種を作り沢山育てる。
それは私次第であって、その覚悟は出来ました。
あの花のように、ただ生きたいと思います。
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